早いもので今年も残り2か月、11月、12月を残すのみとなりました。 11月と言えば『西向く侍小の月』と言う言葉をご存知でしょうか? ご存じの方も多いと思いますが、これは 30日までの月と 31日までの月の覚え方で、2月・ 4月・6月・9月・11月は『小の月』いわゆる 31日までない月で、それ以外が 31日までの 『大の月』と言う意味です。 では、どうして 11 月が侍(さむらい)かと思われた方もいると思います。これは諸説ありま すが『11』を漢字で書くと『十一』で、『十一』を横にすると『士』となり、そして『士』は『武士』を表していることから、武士が『侍』に転じて、このように呼ばれるようになっ たそうです。 また、『士』と言う漢字を『さむらい』と訓読みすること自体は、『侍』よりは遅れますが中 世より行われてきたそうです。 言葉の意味は、もともと刀や鎧で武装した人のことを『武士』と呼び、その武装した武士の 中で誰かに仕えている人のことを『侍』と言いました。人に仕えることを昔は『さぶらう』と言っていましたので、さぶらう → 侍(さぶら)う→ 侍(=さむらい)と変化して行きました。 平安時代は貴族社会でしたので、もともと貴族に仕える武士を『侍』と言っていましたが、 平安から鎌倉の武家社会に変わり、武家社会では『侍』は貴族に仕えるのではなく、『武士』 に仕えるようになったのです。 また、『11』を漢字の『士』と見る以外に、『11』が二本の刀を現わしているという説が あります。 一般的に知られる刀のことを総称して打刀といいます。そしてもう一つが脇差しですが、こ の二本を所持していることが武士にとっては重要な役割を担っているのです。 江戸時代には、お侍は、お城勤めの大小二本差しの役人を指したようで、一本差しは浪人。 脇差しはあくまで侍の証明として使うものだったようです。 実際にはもう一本だけ刀を所持しているのですが、その刀というのが首切り刀であり、他の 刀に比べて小さく懐に忍ばせていました。 『西向く侍』には反対語があるのをご存じでしょうか? 1月・3月・5月・7月・8月・10月・12月『胃酸粉発展坊主』(いさんこなはってんぼうず)、『生臭坊主は胃酸薬欠かせず』というらしいですが、結構無理やりですね。※12月(師走)の師はお坊さんです。
『西向く侍』は全国的に広まっていますが、実は関西や近畿圏が他の地域より認知度が高いそうです。 また、『西向く侍』以外の覚え方として、『手の拳』を使うものがあります。 これは、手で拳を作って 31日の月と、30日以内の月とを見分ける方法で、まず、左手か右手で拳を作り、手の甲を上に向けた状態にします。そうすると、指の付け根の部分の骨が4つ盛り上がります。 人差し指から順番に1月、人差し指と中指のあいだの凹んだ部分を2月、中指の部分を3月...というように順番に数えていき、盛り上がった部分に当る月が31日まで、凹んだ部分が30日までの月となります。 そして、人差し指から順番に数えていくと7月が小指に当ります。8月は、1月同様人差し指に戻りまた同じように数えます。この方法が世界的にも多いらしいです。 では2月だけ28日しかないのを不思議に思ったことはありませんか? それは現在日本で使われている曆が古代ローマの曆をもとにしているからだそうです。 古代ローマでは3月始まり、2月終わりの曆を使っていて年末に日付を調整していました。2月が28日しかないのは現在もその流れを引き継いでいるからなんだそうです。 ちなみに日本では明治6年1月1日から新暦(太陽暦)が正式に使用されるようになり、それ以前は旧暦(太陰太陽暦)を使っていました。これは1年の基準は太陽に対する公転周期、1ヵ月の基準は月の満ち欠けとしていました。 そのため3年に一度『うるう月』があり、1年の日数が平年は 353日~35日ですが、うるう月がある年は『うるう1月』があるため383日~385日でした。 そのころには『西向く侍』も『手の拳』も無かったのでしょうね。
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